聴診器のキャッチコピー
「いいか、私たちはこの商品で九年間も商売をしてきた。
その間、日本の顧客には期日通りに支払いをしてきたし、文句を言う者もいなかった。
もし、私が最初から日本のカネを盗むつもりなら、なぜもっと早く逃げ出さなかったのかね。
連中の告発はすべて真っ赤なウソだ!」と。
やや甲高い、早口の英語でM・Aは一方的にまくしたてた。
日本企業七六社が預けた一二○○億円あまりの資産はいったいどこへ消えたのか。
この質問をしつこく繰り返したのが、よほど気に入らなかったらしい。
彼は延々と「グラウンドレス」(事実無根)、「ブル・シット」(嘘っぱち)という言葉を吐き続けた。
二○○○年四月五日、ニューヨーク市内のメトロポリタン・コレクション・センター(MC、日本の拘置所に相当する)二階の面会室。
目の前にすわったAは茶色の囚人服に身を包み、顔色もけっして良くはない。
風邪のためか時おり咳込み、そのせいか、小柄な体が余計小さくみえる。
それは、かつて東京のTホテルで、満場の聴衆に国際金融を語った花形トレーダーの姿ではなかった。
「収監番号一二五一八・○五○」を持つ、ただの疲れた中年男だった。
それを見て、私は何ともやりきれない気持ちに襲われていた。
この小男が、わが国を揺るがした国際金融スキャンダル「プリンストン債事件」の首謀者なのか。
いったいなぜ、日本企業はこんな男をカリスマ・トレーダーと崇め、なけなしのカネを預けたのか。
高金利に目が眩んだのか、それとも…。
そのプリンストン債の発行・運用の責任者が冒頭のAだった。
M・A、同債を日本で販売したK証券の事実上の親会社、P・G・MとP・E・Iの会長を務めていた。
ここでプリンストン債事件の概要を説明しておこう。
事件の発端は一九九九年九月、外資系のK証券東京支店が国内で販売した私募債一二五○億円が償還不能になったことから始まった。
東京支店が集めた資金は米国のR・N証券の口座に保管され、トリプルAの格付けを持つ米国債などで運用され、最低で年利四パーセントの利回りを保証する仕組だった。
別損失を計上し、KH信用組合にいたっては経営破綻に追い込まれてしまった。
大口顧客だったYのK・N副社長(当時)は、プリンストン債の取引で会社に巨額損失を与えたとして、一九九九年二月に逮捕された。
これらの被害もさることながら、日本側にもっとも衝撃的だったのは、これまで自分に縁のない世界と思っていた国際金融が勤め先の会社をも簡単に崩壊させるという事実だった。
被害に遭った電子部品メーカーのある幹部が首を振りながら語る。
考えてもみてください。
うちは製品一個で二、三円の利益を稼ぎ、やっと年間数千億円の売上げを出す会社です。
それが、ある日突然、海外の資産運用で数百億の損失を出したと言われてもピンと来ませんよ。
従業員もスポーツ新聞読んでいるのが大半で、国際金融なんて縁もありません。
プリンストン債の魅力は高い利回りだが、それを日本の投資家に販売したK証券もかなり強引な営業手法を展開した。
それを裏付ける資料として、K証券の内部文書が私の手元にある。
日付けは一九九五年一○月一三日、香港に滞在していたS・A・K証券東京支店会長から米国のAに送られた手書きのファックスだ。
日本を含む極東市場での、プリンストン債販売についての戦略メモだった。
このなかに同社の営業部員への報酬体系が詳細に述べられている。
今後は経験や年齢に応じ、毎月二○○○〜七○○○ドルの基本給を支給する。
これも徐々にすべてを歩合給に移していき、交際費、交通費、保険費も原則として個人負担させる。
また各自の基本給の最低五倍の販売収入を毎月維持させ、この水準を三ヵ月満たさない場合、退社を要求する。
日本の会社と比べると、かなり過酷なノルマである。
だが、Sは意外に楽観的だ。
「この報酬体系はかなり過酷だが、優秀な営業部員には受け入れられている。
事実、東京ではこのスキームで、N、D、M・S出身の七名の営業部員を採用することができた」と述べている。
プリンストン債事件の被害が拡大した遠因には、こうした外資独特の合理主義もあった。
一部の顧客から「山賊部隊」と呼ばれたK証券は、さまざまな会社から寄せ集められた営業マンたちから成っていた。
そして、彼らを突き動かしたものが、販売実績さえ出せば報酬ははずむという「完全歩合給」だった。
そのためには、少々荒っぽい営業もやむをえなかった。
S会長からAに送られた手書きのファックスさらに厄介なのは、事件を巡る国内の関心が、S・A・K証券東京支店会長のリベート供与や脱税、一部顧客による同債を使った「飛ばし」など枝葉末節に集中してしまったことだ。
これだけの巨額資金が闇に消えた事件では、まず、預けたカネがいつ、いかなるルートで誰の手に渡ったかを究明することから始まる。
また金融市場は基本的にゼロ・サム・ゲームの世界だ。
勝者と敗者がはっきり分かれ、巨額損失を出した者がいれば、その分を儲けた連中もいるはずだ。
これまでプリンストン債事件を扱った本や記事では、これらの点がまったく無視されている。
過程を究明しないで結果だけを云々しても意味はないのに、である。
逆に言えば、日本のカネの行方を丹念に追うことで違った真実が見えてくるのではないか。
それにはまず、事件の首謀者とされるアームストロング、彼と関わりのあった人間たちが当時のマーケットの動きを洗っていくことが最善と思われた。
A側と連絡を取り始めたのは二○○○年初め、窓口は彼の代理人を務めるM・S弁護士だった。
事件発覚後、彼は米証券取引委員会(SEC)、商品先物取引委員会(CFTC)などから刑事告訴され、ニューョーク南部地区連邦地裁で公判が続いていた。
現在もMCCに身柄を拘束されている。
何度か国際電話で打ち合わせた結果、インタビューは二○○○年四月五日の午前一○時、MCC内の面会室に決まった。
当日、一○畳ほどの殺風景な部屋で待っていると、R・B所長が鉄製の扉を開け、小柄な中年の米国人がゆっくりした足取りで入ってきた。
禿げ上がった頭に不精髭、青白い顔が目立つ。
「私の会社は株式公開も準備していて、二○〜三○億ドルの価値があった。
金融監督庁のミスが、その後の混乱と誤解の元凶となった。
これは彼らの責任だ」と。
これは単純な翻訳ミスだろう。
現にSECやCFTC内部でも、裁判でも、何ら問題は生じていない。
この一事をもって日本政府に責任を押しつけるのはいかにも無理だ。
しかし、もう一つのR証券は大きな鍵を握っている。
K証券がプリンストン債販売でかき集めた日本の資金を保管していたのが、ニューョークのR証券だったからだ。
もともと、日本で同債が販売開始された頃、顧客資産はR証券ではなく、米大手のP証券に預けられていた。
事実、一九九四年秋に購入を持ちかけられたA電気は、AやSからそう説明を受けている。
ところが、翌九五年の一二月までに、Aは資金の保管先をR証券の金融監督庁(現金融庁)とR証券の責任だ」と捲し立てた。
どういうことかと聞くと、前年(一九九九年)夏、プリンストン債の実態を調べていた金融監督庁が米当局に、同債の販売額を三○○億ドルと誤記してしまったという。
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